サクラサク…

           〜遥かなる君の声 後日談・その1
           なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 


 北国の遅い春が、それでももうすぐそこまでやって来ていた頃合いだった。振り返ればたったの6日。なのに、なんてまあ長い6日間であったことか。禍々しき闇の存在を…召喚されんとしていた負世界からの魔神から、諸悪の根源だった闇の者まで、全て打ち払った達成感に全身が頽れそうになりながらも、最後のお仕事が残っていて。大陸の底にも等しき地底から、残りの体力を全てつぎ込んで這い出して来た彼らであり。
『今回ばかりは聖なる大地の気脈が鬱陶しかった』
 王城の主城地下にあった聖域からほとばしる、陽白の祝福を受けた大地の気脈の主幹部が通過していたその真下であったがために、彼らが会得していた“次空転移”という瞬間移動の咒が使えなかったからで。あんな邪魔物がなかったならば、追跡も脱出もああまで難儀はしなかったと、いかにも忌々しそうにぶうたれていた黒魔導師さんへ、
『そうはいうが、あれであの厄介な地底の祭壇が封をされていたようなものなのかも知れねぇじゃねぇか。』
『…っ。』
 罰当たりなことを言うもんじゃねぇとばかり、言わずもがなな一言を投げたがため。書いた本人にしか消せない咒による落書きを、頬っぺへ黒々と記されてしまった封印の導師様だったのは…蛇足のおまけだったりする。
(苦笑)




            ◇


 うららかな陽射しが照らし出す中庭に雪がないのは、荘厳なまでの白亜の楼閣にそれは巧みに囲まれているがため、陽光は射し入るが雪は降り込みにくく留まりにくい工夫がなされているのと、それから。庭師の方々がまめに掻き出しては取り除いて下さっているからだったりし。

 『瀬那くんの寒がりっぷりは半端じゃあないからねぇ。』

 負世界からの使者、邪妖の策謀により引き起こされたる王宮内紛の混乱の中で出奔したそのまま、大陸の南端にあるのどかな寒村にて育った小さな皇子。実際にいたのは数年ほどだったようではあったがそれでも、そこで成長期を過ごした影響は大きかったようで。テラスに降り積もった雪を、ふわふわしてて綺麗だなと、その両手に掬い取ろうとしたそのまま、総身が固まってしまった彼だったというのは、内宮ではあまりに有名な逸話であり。大好きなお友達、聖鳥のカメちゃんが、こちらさんもやはり寒さに弱い仮の姿をしていたがため、中庭の温室で放されていたのだが。そんな彼に逢いに行くときの重装備と来たら、どこの宇宙空間へお出掛けですかと訊きたくなるほどだったとは…時代考証ってもんを考えない、金髪の誰かさんのお言いようだったりするのだが。
(苦笑)
「…。」
 そんな皇子様は、それだのに、お庭に出るのがお好きな方で。それで、少しでも寒そうに見えぬよう、且つ、1日でも早くに春の芽吹きが訪れますようにとの計らい。庭師の方々が頑張って下さった、その小さなお庭。まだお花だの瑞々しい緑だのには早いものの、植え替えをしない木々の幾つか、梢に小さな芽が膨らみつつあるそうで。
『特に桜が、ぐんぐんって蕾を育てているんですようvv』
 サクラという花は、春が近づいて暖かくなって、でも、途中で一旦強く冷え込まないと蕾が目覚めないんですってね、ドワーフさんが言ってました。そういえば“寒の戻り”というのがありますものね。上手く出来てますよねぇなんて、教わったばかりのネタを嬉しそうに語った皇子へ、
『その前に別の木の花が咲くんじゃなかったか? 確か』
 ちょいと意地悪く訊いたら、
『ウメのことですか?』
 特に揚げ足を取られたとも思わなかったらしく、ウメは匂いが独特で清々しいですよねなんて、やはり屈託なく微笑うもんだから。こりゃあ敵わねぇやと苦笑するしかなかったんだぜ?
「相変わらずだぞ、あのチビも、他の連中も。」
 柔らかな陽射しが降りそそぐ室内。あまりに目映い光を直接当てるのは、いくら眠っているとて刺激が強すぎるからと。寝台の、殊に枕元は窓から少し離したところに据えているのだが、床やら壁やらからの余光で十分に明るいし暖かい。上背のある彼が、それでもその中央にふわり余裕でその身を沈み込ませている大きなベッド。同じ姿勢のまま昏々と眠り続けていることで疲れぬようにと、あまり高くない枕を敷いたその上に収まっているのは、亜麻色の髪に縁取られた白いお顔。彫の深い、されどあまり鋭角的な印象はない優しい面差しは、こうやって無表情になると、何だかやたらと素っ気なくも見えて。

 “そっぽ向いてるには違いない、か。”

 意識がないのだ、こっちを向いてないも同然だ。そして、だからなのだろうか、いつまでもいつまでも一瞬たりとも眸が離せないままだ。キリというものが見つけられない。立ち上がった次の瞬間に身じろぎをするかも、窓のほうを向いた瞬間に眼窩のはっきりした瞼が震えるかも。そうと思うと視線が外せず、定時に運ばれてくる食事で、ああもうそんな時間かと気がついては、おもむろに…やたら丁寧に、快癒の咒を唱えてやるのが、今の蛭魔の唯一の日課だ。

 「…。」

 此処へと運び込まれた日に比べたら、多少は血の気も戻ったほうだが。頬や額、鼻の頭にまであった小さな火傷や大きな擦り傷も、今は何とか治りかけているが。毎日のずっと、朝から晩まで じっと眺めている身には、そういう変化ってなかなか拾いにくくって。髪を挟み込むようにして頭に巻かれた包帯も、寝間着の襟元、鎖骨の合わせを斜めに横切って胸板全部へ巻かれた包帯も、腕や脚にもある晒布や包帯も、昨日取り替えはしたが、まだまだ当分は生々しい傷を覆う役目を終えそうにはなくて、だから。本当に快方へと向かっているものか、何か見失ってやいないかと思うと、何とも言えぬじりじりとした落ち着けない気分に陥ってしまう。

 『ご自分の治癒能力の半分以上のダメージを受けるほどの重い傷病疲弊へは、
  指定した人物からの治癒の咒しか効かなくなってしまうっていう、
  譲れない約束ごとをしていたのだそうです。』

 最終決戦を何とか片付けての帰還の途中。そこへと至る直前の難関だった、地中から噴き上がった猛烈な威力の火柱を彼らに突破させるため、立ちはだかった炎の制圧のために居残ったのが、この、まだ意識の戻らない白魔導師さんであり。
「…。」
 穏やかな寝顔に、最初の内はさんざんと罵声ばかりを投げかけた。勝手なことをしやがってとか、俺へ捨て身の咒を禁じておいて自分はどうよとか。

  “…そんな誓約、師匠と結んでたなんて話、俺、聞いてなかったぞ?”

 その華やかな見目に相応しく、春の風をつかさどる精霊の、結構 上のクラスの存在だったという桜庭は、だが。それは寂しそうにしていたとある皇后様の心に惹き寄せられたことから、人の導師に封印されてしまい、何百年、もしかして千年以上もの歳月を、ただただ昏々と眠って過ごしたのだそうで。もう人間に関わるのは懲りたから、これからの地上を人間たちが覆うというのなら、このまま眠っててもいっかなと、半分投げてたそんな彼を、活気あふれる浮世へ再び引っ張り出したのが…、
『あれれぇ? 空っぽだ。詰まんな〜い。』
 お菓子でも入っているものと思ったか、彼が封印されていた壷、あっさりこんと開けてしまった小さな坊や。それはそれは高名な術師がかけた封印咒も、それを染ませたお札も何のそのだったその素養は、確かに恐るべきものだったし、

 『妖一の傍でなら、一緒に過ごしてみてもいいかなって思ってね。』

 赤子と変わらないほどもの幼いころに親元から引き離され、内聞のまま あの泥門の庵房へと預けられた、天涯孤独も同然の小さな坊や。才気煥発な腕白だったが、まだまだ甘えた盛りでもあったろに、寂しいとか親に会いたいとか、言いもしなけりゃ態度にも出さなかった強気な彼は、気が強くて利かん気で、口より先に手や足が出る乱暴者で。それでいてずば抜けて利発でもあって、咒や術式を驚くべき早さで覚え込み吸収し、高等な応用さえ容易くこなした賢い子でもあって。

  『でもね? あのね?』

 そんなことが理由じゃないんだと、いつだったか言っていた桜庭であり、


  ――― 得体の知れない存在の自分へ、
       それはよく懐いてくれた可愛い子供だったから。


 後になって判ったのが、妖一は“月の子供”を導く存在の生まれ変わりであり、そんな宿命から、生まれ故郷を離れた下界へと降ろされてしまったのだそうで。そんな特別の身なれば尚更、怪しい存在へは警戒してこそ当然で。霊的なものへの感知の能力は封印されていたそうだけれどそれでも。いきなり現れた初対面の…しかも人間ではない男へと、何でまた懐いた妖一だったのだろか。人付き合いは面倒ばっかだからと、昔っから敬遠しがちだった彼だのにね。

  「………。」

 十分過ぎるほど、蛭魔のことを知り尽くしていた桜庭。大好きだからとのそれだけで、大切に見守ってくれていた桜庭。あの正念場、どうあっても先へ進まねばならなかった彼らだったから、ならばと大技を繰り出した。捨て身同然のこんな無茶、恐らくは蛭魔が見ていないからという状況も手伝ってのこと、敢行した彼なのに違いなく。

  「…。」

 精霊ではなくなった自分が、されど…かつては同格だった手ごわい相手との対峙という場にあっても、遺憾なく互角の力が出せるように。そんな条件との等価交換に、選りにもよって自身への救済を封じておいただなんて。もしも深手を負ったならと思えば、多少なりとも萎縮するとか、せめて ずんと慎重になるのが普通だろうによ。諸刃の剣でもあったそんな危険なこと、なんであんな…自分のためじゃないことへ発揮するかな。人を何だと思ってやがる。俺様が誰だか判ってんのかよ。………なあ。

  「………桜庭。」

 俺じゃないとダメで、しかも、その俺が不得手なことでないとお前を救えないだなんてよ。この俺様が、こんなしてぼーっとしてる以外 何も出来ないだなんて、そんなのありかよ。快癒の咒なんてお前の担当じゃんか。俺は前線担当だっての。俺がぶっとい氷のツララで胸板から背中まで貫かれちまった時だって、お前、あっさり治してくれたじゃんかよ。何日寝てりゃあ気が済むんだ。とっとと眸を覚ませってんだ。話してやりたいこととか、言ってやらんといかんこととか、そりゃあもうもう、沢っ山あんのによ。


  「………ば〜か。」











  「ひどいなぁ。」

  「…っ!」


 うっすら開いた瞼の下、深色の潤みが瞬いて。形のいい口許が、何とか頑張っての笑みを浮かべてて。

  「せめて、サ。
   俺を残して、死なないでとか、言って。
   涙の、ひとつでも、零してくれるとか。」
  「ば〜か。そんな口の達者な奴ぁ、そう簡単には死なねぇんだよ。」

 ああしまったな、声に力が入らねぇ。

  「ここって…お城?」
  「ああ。」
  「じゃあ、勝ったんだ。」
  「そういうこった。」

 凄いねぇと小さく微笑った桜庭に、それがあんまりにも久し振りの笑顔だったから…あんまりにも力のない頼りなさだったから。ついつい手が伸び、頬に触れてた。温かいし柔らかい。口の端、切ってたの、もう随分と塞がってるから。良かったな、微笑っても痛かねぇだろ? どうしてかな。言ってやりたいこと、喉に引っ掛かって言葉にならねぇ。

  「…よういち?」
  「………何でもねぇ。」

 ああ、笑いにくいのはお互い様だな。口許がこわばってて、嬉しいはずなのに笑えないし、心配させやがってとさえ言えない。逆に案じさせてどうするよと、それが苦しくて息を詰めてたら、

  ――― すりっ、と。

 頬にあててた手へと、桜庭の方から頬擦りしてきた。

  ――― ホントは手を取ってあげたいんだけれど。
       ごめんね、なんかまだ体が重たくてサ。

 そんな風にでも言いたいか、綺麗な眉を下げて見せるから。



  「お前、ホント、ばか。」
  「なんだよ。」
  「バカだからバカなんだ。」
  「さっきから酷いよ〜。」


 非難しながらも微笑ってやがる。そんなにも可笑しいかよ、鼻の頭、手の甲で押さえながら話すのがよ…。





 ああもうすぐ咲きますね。そうですね。窓の外では、小さな主上と大きな騎士様。濃臙脂の枝の先を見上げて微笑っておいで。春の使者はもうすぐお目見えです。








  〜Fine〜 07.4.26.


  *いやもう何と申しましょうか。
   どこまで書いたらいいのという戸惑いから、
   収拾つけ難きラストとなってしまった、
   あの見苦しさへお付き合いくださった方々へ、
   ちょっとでもお返しがしたくての“後日談”篇です。
   他の方々のお話も、おいおい少しずつ書いていきますね?
(苦笑)

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